Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

Why don't we do ~?, tooを強める副詞のfar, 等位接続詞andの接続(ジェレミー・クラークソンの箴言?)【再掲】

このエントリは、2019年9月にアップしたものの再掲である。こういった表現は、単に「英会話」として習うかもしれないが、その上でさらに文法的な裏付けをしておくと、知識がしっかり定着するし、自分で使いたいときに使いたいように使える表現となる。

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今回の実例は、普段は私の見てる画面には流れてこない人のツイートから。

私のTwitterは、英語圏(主に英国とアイルランド)の報道機関やジャーナリスト・コラムニスト、研究者、NGOや国連専門機関などのフィードが大半を占めている。フォローしている報道機関などは政治的には左派で、英国の極右系アカウントはミュートないしブロックしてあり、デイリー・メイルやザ・サン、デイリー・エクスプレスなど右派煽動・デマゴーグ系報道機関のフィードは、特にミュートなどの機能を使わなくても、あまり視界に入ってこない(実際、デイリー・エクスプレスのフィードなどは、ワード検索したときにしか目にしない)。これが「フィルターバブル」と言われるもので、わかりやすく図式的に言えば、ガーディアンをフォローしてガーディアンで書いてるジャーナリストやコラムニストのツイートによく反応する私の視界には、対極にあるデイリー・メイルのフォロワーやそこで書いてるジャーナリストたちの言ってることはほとんど流入してこないわけだ。「フィルターバブル」について、詳細は下記書籍を参照のこと。 

フィルターバブル──インターネットが隠していること (ハヤカワ文庫NF)

フィルターバブル──インターネットが隠していること (ハヤカワ文庫NF)

 

 

さて、このような事情で、Twitterを使っていて何十万人単位のフォロワーを持つ著名人・芸能人は英語圏にもそりゃもう大勢いるが、私がフォローしているような人々とは対極に位置する人たちに好まれる著名人のフィードは、私の見ているところには現れない。ジェレミー・クラークソンはそういう著名人のひとりだ*1

私が車に興味があったり、『トップ・ギア』をよく見ていたりすれば、私がフォローしていたりよくインタラクトしたりしているユーザー経由で、クラークソンのフィードが表示されることもあったのだろうが、あいにく車には全然興味がないし『トップ・ギア』も年末年始の夜中にまとめて放映しているのをダラダラ見たりしたことがある程度で(車運転しなくてもそれなりにおもしろく見れたのはさすがの番組作りだと思ったけど)、つまりどこをどうたどっても接点がない。そういう人のフィードは、どんなに著名な人のであれどんなに話題になっているツイートであれ、Twitterはシステム上、基本、表示しない。私がフォローしている人たちが大勢フォローしていようとも*2、誰かが特にリツイートでもしない限りは、私の見ている画面には彼の発言は表示されない。

そして実際、ジェレミー・クラークソンのツイートを、私がフォローしている誰かがリツイートするということは、これまでなかった。

 

だから昨日、英国会下院ですごいことになったあとゲラゲラ笑いながらふと見た画面に流れてきていたおもしろい発言に「ははは」と笑ってから発言主を確かめたとき、文字通り、二度見してしまった。 

「ジェレミー・クラークソン」って、あのジェレミー・クラークソン?

Verifiedのバッジもついてるし、 そうなんだろうな。

この人、Brexit支持じゃないのかな? と思ってさくっとウィキペディアを見てみると、Brexit不支持で、10年くらいまでよくいた右翼のEU強化論者のようだ*3

ともあれ、本題に入ろう。

*1:この人はルパート・マードックのNews Corp傘下の新聞でコラムを書いたりもしているが、読めば読むほど言語的にバカになる系の文章なのでおすすめしない。「あれかこれか」の単純化が彼の持ち味だが、元からニュアンスが体感できていない英語学習者にとっては、筆者の意図していないような害が大きい。

*2:今見たら私がフォローしている2166人中90人がクラークソンをフォローしていた。案外多い。

*3:'Clarkson does not support Brexit, stating that while the European Union has its problems, Britain would not have any influence over the EU, should it leave the Union. He envisions the European Union being turned into a US-like "United States of Europe", with one army, one currency, and one unifying set of values.' --- Wikipedia: Jeremy Clarkson

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have + O + 過去分詞 (Twitter CEOのアカウントが乗っ取られた)【再掲】

このエントリは、2019年9月にアップしたものの再掲である。ニュースでかなり頻繁に使われる《被害》の表現として、このまま暗記しておいてもよいような教科書的な実例である。

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今回の実例は、Twitterのジャック・ドーシーCEOのTwitterアカウントが乗っ取られたというニュースから。

 

詳しい文法解説は下の方に書いていくが、高校で《have + O + 過去分詞》を習ったときに「何これ、わけわかんない。こんなややこしい構文、化石みたいな日本の受験英語に残ってるだけで、ネイティヴは使わないに決まってる」と思った人は少なくないと思う。

何を隠そう、私自身も最初はそう思った。自分が理解できないことについて、まずはこういうふうに過小評価するのは防御の反応として普通のことだから、最初にそう思ったことは別に恥じる必要はない。恥じなければならないことがあるとすれば、そういう「こんなややこしい構文は日本の受験英語だけ」みたいなことはただの根拠のない決めつけでしかないということを、実際の英語(「生きた英語」)ではガンガン普通に使われてるということを指摘されても、認めようとしない偏狭さだ。

本稿を読んでくださっている方々には、「《have + 目的語 + 過去分詞》なんてやってるのは日本人だけ」みたいな思い込みがもしあったら、この場で捨てていただければと思う。

 

というわけで今回の記事の見出し(下記キャプチャ画像の上の方)。

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2019年8月31日、BBC News

www.bbc.com

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remember+動名詞, 等位接続詞but, 代名詞one, 関係代名詞, 感覚(知覚)動詞+O+現在分詞, など(大坂なおみさんがマスクに込めた思い)

今回の実例は、Twitterから。

テニスの全米オープンがいよいよ佳境である。10日(米東海岸時間)に行われた女子シングルス準決勝では、大坂なおみ選手とヴィクトリア・アザレンカ選手(ベラルーシ)が勝ち上がり、米東海岸時間で12日午後4時からの決勝戦に臨む。大坂選手は2018年の同大会で優勝しているので、2度目の優勝に挑むということになる。健闘を願っている。

さてその大坂選手、今大会では日本のマスコミはやたらとマスクがどうのこうのという話をしている。コート入りする彼女が、ウイルス対策で着用しているマスクに、これまで警察や自警団の一方的暴力で生命を絶たれた黒人たちの名前を記していることが、日本のマスコミにはよほど異様に見えているらしい。ひどい場合には、女性の芸能人がインスタグラムで手作りマスクを着用した写真をアップしている場合などに用いられる「マスクを披露」という珍妙な言い回しを使っている。これは私には、大坂さんの真剣な訴えを、半ば茶化すようにして扱っているように見えて、「何だこれは」という憤りのようなものを感じるし、それ以上に残念だし情けない。大坂さんは「マスクを披露」しているわけではない。「見て見て、私のマスク、よくできてるでしょ」と言ってるわけではないのだ。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/9c9f482f33355da8ec5fddcd73e78b1b87032109

この「残念だし情けない」という気持ち、英語で言い表すとすればsadという単語を使うのが定石なのだが、大坂さんご自身のツイートにも同じ感情を表すsadが使われている。

この日、大坂選手は、当ブログでも何度か言及しているトレイヴォン・マーティンさんの名前をつけていた。トレイヴォンは黒人の少年で、2012年2月下旬のある晩、フロリダ州でコンビニにお菓子を買いに行った帰りに、武装した男に撃ち殺された。17歳だった。事件当時だったか裁判が始まってからだったか、トレイヴォンが撃たれたのは「パーカーのフードをかぶっていて怪しかったから」といったことが言われ、「黒人男性がパーカーのフードをかぶること」がこのような暴力への抗議のシンボルのようになっていた。トレイヴォンを撃ち殺した男は、後に裁判でどういうわけか正当防衛が認められて無罪になったのだが、当時は「自警団 vigilante」だと言われていた。今、英語のウィキペディアを確認してみると、加害者が「自警団」だったという記述は削除されている(が日本語版には残っている)から、「自警団」という言葉をめぐっては、まあいろいろとあれなのだろう。

オバマ政権下、2012年のこの1人の少年の殺害は、現在に至る #BlackLivesMatter へとつながっている。

大坂なおみさんは1997年10月生まれだから、トレイヴォンの殺害当時は14歳だ。それを回想するところから始まっているのが今回見ているツイートだ。話しているままをそのまま文字にしたような、率直で、気持ちがストレートに出ている文である。

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付帯状況のwithと現在分詞, 文法を意識しないで読めるとはどういうことか(米国がウイグル産の綿などを禁輸へ)

今回の実例は報道記事から。

当ブログでは今年7月、中国の新疆ウイグル自治区(以下「ウイグル」)で中国政府が行なっている人権侵害・弾圧に関して、人権団体の連合体が報告を出したこと、そこで世界で流通している衣料品に用いられている綿素材のうち、無視できないくらいの割合が、強制労働が行なわれているウイグル産であると指摘されていることを報じた報道記事を、何度かに分けてみてみた。

hoarding-examples.hatenablog.jp

hoarding-examples.hatenablog.jp

hoarding-examples.hatenablog.jp

hoarding-examples.hatenablog.jp

hoarding-examples.hatenablog.jp

この報告で指摘されている強制労働の問題は、報告が出る前から指摘はされていたのだが、この報告のあとでアウトドア・ブランドのパタゴニアが、ウイグルからの原材料調達を停止すると発表するなど、影響(効果)は出ているようだ。

apparelinsider.com

今回見る記事はそのさらなる続報で、米国政府の方針に関するものである。記事はこちら: 

www.bbc.com

米国はウイグルを産地とする中国の主要な輸出品である綿とトマト(加工品用)を禁輸する方針で、税関当局が準備を進めているということが報じられている。記事はあまり長くなく、特に読みづらいところがあるわけでもないので、関心がある方はぜひ読んでいただきたい。

なお、BBCのこの記事だけだと細部がわからないので、もっと深い関心がある方は、米メディアの記事を探して読むことをお勧めしたい(私はそこまでは踏み込んでいないので、この記事がいいよというものがあるわけではないが)。

実例として見るのはこの記事の最後の方から。

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機械翻訳において「流暢な誤訳」が生じるのはなぜか/同格, 比較級, 時制(バーミンガムの連続殺傷事件)

今回は、前回の続き。

今回の本題は、前回のエントリの最後の方で見た「DeepL翻訳による流暢な誤訳」についての検討だが、その前に、前回エントリの発端となった例文について、機械翻訳という観点から少し補足しておきたい。

前回エントリの発端となったのは "There are cases where honesty does not pay" という文だったが、これのコアの部分、 "Honesty doesn't pay." は一種の成句で、日本語でも「正直者がバカを見る」という成句が対訳としてセットになっている。

機械翻訳においてはそこがキモで、この文が常にこの形のままで使われるならその対訳セットを常に当てはめておけば構わない。("doesn't" を "does not" と表記することもあるというのなら、その表記のパターンもセットに加えて、覚えさせてしまえばよい。日本語の漢字変換のイメージでいうと、「重複」という漢字に「ちょうふく」と「じゅうふく」を対応させておく、という感じだ。)

だが、 "Honesty doesn't pay." =「正直者がバカを見る」という対訳が成立するからといって、 honesty という英単語に「正直者」という意味があるかどうか、doesn't pay というフレーズに「バカを見る」という意味があるかどうかというと話は別だ。「正直者がバカを見る」という日本語は、この英文を翻訳したものではなく、この英文とは別個に日本語の中に存在している成句で、たまたま意味(意味されるもの)が同じだから対応関係にある、というだけの話であり、この対訳ペアから、その文を構成する語(単語)の語義を導き出すことはできない。

機械翻訳は《意味》を考えない」というのはまさにそういうところで、機械翻訳が出力するのは、私たち人間が使っているような「《意味》あってのことば」ではないのである。 "Honesty doesn't pay." が「正直者がバカを見る」になるのは、「正直さがペイしない」という直訳よりも「正直者がバカを見る」の方が、同じ意味内容を表す日本語として、自然だからである。

同じような「自然だから」で成立している対訳ペアとして、"Nice to meet you." = 「はじめまして」が挙げられる。これも、nice, meetといった英語の単語それぞれに「はじめ」や「まして」の日本語の単語の意味があるわけではなく、英語のフレーズ全体で言っていること(意味)を表す日本語のフレーズが「はじめまして」である、というだけの関係だ。

それを、This is Mr Smith. =「こちらはスミスさんです」の対訳ペア(this = 「こちら」、Mr Smith =「スミスさん」)のように扱うことはできないし、扱ってはいけない。しかし「そのように扱ってはいけない」ということは、人間なら普通に考えて判断できるかもしれないが、機械には判断できない。機械は「普通に考える」ということをしないからだ。

"Nice to meet you." レベルで「見るからに成句」だとまだやりようがあるかもしれないが、 "Honesty doesn't pay." となるとなかなかに厄介だ。そもそも honesty は「正直さ」という意味であって、「正直者(正直な人)」という意味はない、ということは、機械は理解していない(そもそも機械は、何かを理解するということはしない)。

英語のhonestyが日本語で「正直者」に対応しているケースはほかにもあるだろうが、それでもhonestyという語自体が「正直者、正直な人」という語義を持っているわけではない。たまたま、日本語ではそういう言葉で表現するのが自然だ、というだけだ。例えば文芸作品の翻訳で、"I trust him because he's honest." という文を「わしはフィンバーのせがれを信用しとるよ、何せ正直者だからな」と訳出しているというケースを想定してみよう。その場合、himという単語自体に「フィンバーのせがれ」という意味がある(どんな文脈でもhimという語が出てきたら「フィンバーのせがれ」と解釈できる)わけではなく、その文脈ではそういうことであり、日本語では「彼」などとするよりもそう言葉にした方が通りがよい(自然だ)というだけのことだ。"he's honest" を「正直者だ」としているのも同様で、訳者は「奴は正直だから」とアウトプットすることもできたのに、何らかの理由(おそらく「その方が通りがよい」という理由)で「正直者だから」としている、というだけのことで、honesty自体に「正直者 (an honest person)」という《意味》があるわけではない。

だが、"Honesty doesn't pay." =「正直者がバカを見る」という対訳ペアを与えられた機械は、そういうことは考えない(そもそも機械は考えないので、より正確な言葉遣いをするならば、「考慮に入れない」、すなわち「計算過程に介在させない」ということになるだろうか)。

それどころか、前回引用した@yunodさんの連続ツイートで指摘されていた通り、"Honesty doesn't pay." が "Honesty does not pay." になっただけで、対訳ペアが見つけられなくなって(古の、文法ベースの機械翻訳ではこういう問題は起こりにくかったのではないかと記憶している)、"Honesty doesn't pay." から「正直者がバカを見る」の太字部分を引っ張ってきた上に、内部で別の対訳ペアを参照し、そこから、何の合理的根拠もなしに、 "doesn't pay" =「(お)金を払わない」というのを引っ張ってきて、両者をくっつけ、最後にどういう理由か日本語の助詞の「が」を「は」にするという流暢化を行なって、「正直者はお金を払わない」というものを、「訳文」と称して出力する。

これが機械翻訳のやることであり、「流暢な誤訳」の生じるプロセスである。

というわけで今回の実例。前回最後の方で言及した「流暢な誤訳」の生じた文について。出典の記事はこちら: 

www.bbc.com

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「精度の高さ」が売りのウェブ機械翻訳 (DeepL) は、実際どのくらいのものか。

今回は、ちょっと趣向を変えて、ネット上で「精度が高い」という売り込みが完全に定着し既成事実化している、誰でも自由に無料で利用できる機械翻訳についての実証試験的なものを。

といっても、昨日、Twitterに投稿したものをまとめておく、という感じだが。

発端は、田中健一先生がDeepL翻訳に投げた "There are cases where honesty does not pay" という文の英→日翻訳結果がぐだぐだだったこと。それを受けて次のようにツイートしたら、けっこう反応があった。

念のため書いておくが、私は機械翻訳絶対反対という立場ではない。実用に足るものがあれば積極的に使っていくべきだと考えているが、現状、一般的に話題になるものは「実用に足る」レベルでは全然ないのだ。

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やや長い文, so ~ that ...の構文, 前置詞+動名詞, 形容詞の後置修飾, など(デヴィッド・グレーバーの語る「経済とは何か」論

今回は、前回の続きで、急逝が伝えられたデイヴィッド・グレーバーによる、私たちが「経済 economy」と呼んでいるものについての、2015年の文章から(続きというか前回文字数超過で扱えなかった部分を取り上げる)。

記事はこちら: 

gawker.com

筆者のグレーバーについて、またこの文章のタイトルやその意味については、前回書いてあるので、そちらをご参照いただきたい。

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他動詞のrun, 接続詞のas, 省略(日本軍の性暴力の被害者となったオランダ人女性)【再掲】

このエントリは、2019年9月にアップしたものの再掲である。過去形で語られることをただ読む(つまり「他者の話を聞く」)ということのよい練習になるだろう。ただし、性暴力の体験談だから、読める気がしないという人は無理に読まないようにしてほしい。

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今回の実例は、第二次大戦で日本軍による戦時性暴力の標的とされ、連夜レイプされ続けたオランダ人女性のオビチュアリーから。

「オビチュアリー」というものについては以前ざっくりと説明したが、功績のある誰かが亡くなったあと、その人の人生や成し遂げたことについてまとめた長文記事である。日本の新聞に出る「死亡記事」や「訃報記事」に比べればずっと長く、情報量も多いこういう記事が、英語圏のメディアでは、著名人の死に際して、出るのが通常である。

 

さて、今回の記事は米ワシントン・ポスト (WaPo) から。これは、ご一読いただければわかるのだが、英デイリー・テレグラフ (DT) のオビチュアリーを参照して書かれており、当ブログでもDTを参照すればよいのだが、DTの記事は読者登録してある人にしか閲覧できないようになっているので、ここで参照することははばかられる(当ブログを読んでくださる方に、DTの読者登録を強制するような形にになるからだ)。一方、WaPoの記事は登録などしなくても普通に閲覧できるので、こちらを参照することにした。

beta.washingtonpost.com

 

記事をずっと読んでいって、けっこう下の方。オランダ支配下にあったジャワ島(現在のインドネシアの一部)が日本に占領されたあと、家族ともども収容所に入れられていた当時21歳のジャン・ラフ・オハーンさんが、「選り抜きの若く見た目の良い女子10人を別の場所に移す」という日本軍の方針で、あるとき突然収容所の家族から引き離され、別の施設に送られたあとの描写から。

 

【Trigger warning】この記事には、性暴力について、たいへんにつらい描写が含まれています。当ブログで取り上げる部分にもそういう描写があります。そういうのを目にすることでつらい思いをしてしまう方、普段は記憶の中でふたをして封じ込めているものがよみがえってしまう方は、お読みにならないほうがよいかもしれません。

この先、「続きを読む」は、読んでも大丈夫そうな方のみ、お読みください。

 

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「数値-名詞の単数形」の複合語(形容詞), in order to do ~(16歳の環境活動家)【再掲】

このエントリは、2019年9月にアップしたものの再掲である。英語を書くということでは、学校ではあまりしっかり教えてくれないような形式上の細部についても注意が必要である。

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今回の実例も、前回(金曜日)のと同じ記事から。

記事はこちら: 

www.bbc.com

 

前回は記事の中の方を見たが、今回は最初の方から。

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文頭の "Put another way" は何なのか、構造から読み解いてみよう(急逝したデヴィッド・グレーバーの2015年の文章より)

今回の実例は、急逝が伝えられたデイヴィッド・グレーバーの文章から。

グレーバーは人類学の分野の学者だが、それ以上に、人類学をベースにした現代の私たちが生きる社会の分析や、私たちの意思次第で取り得る方向性についての論述で知られる、英語でいう public intellectual であり、9年前、2011年9月の「ウォール街を占拠せよ」運動 (Occupy Wall Street: OWS) のスローガンで、富の偏在について端的に、非常に単純化したフレーズ、「私たちが99パーセントなのである/私たちは99%である (We are the 99%)」を考案した学生たちが参照したテクスト(文章)を書いた人である。

1961年にニューヨークに生まれたグレーバーは、1998年から2007年まで米国の名門イエール大学で教鞭をとっていたが、イエール大は、およそイエール大らしくない彼にテニュア(終身雇用資格)を与えようとしなかったため、2007年以降は英国のロンドンに拠点を移していた。ロンドンではゴールドスミス・コレッジに次いで、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスLSE)で教えた。

多くの人々にインスピレーションを与えた彼の著述活動は、「私たちが『経済』だと思っているものは、本当は何なのだろうか」ということについての論考、現代のいわゆる「民主主義」や「資本主義」、「支配」「隷属」といったことについての論考で、その著作は日本語化もされている。「当たり前」を問う、ということはどういうことなのか(それは「なぜ人を殺してはいけないのですか」「なぜ小児性愛はいけないのですか」といった個人的で幼稚な、自分の要求を通すための問いではない)という点で、お手本のような文章だ。

(「経済を回す」といった)物言いは、経済とは、ブンブン音を立てて回る巨大なタービンのようなものであって、一時的に停まっていたけれどもまた動かさなければならない、といったふうに聞こえる。このところわたしたちは、経済についてこんなふうに考えるよう促されることが多い。
 けれどコロナ危機の前にわたしたちが聞かされてきたのは、経済とはほとんど、ひとりでに動くマシーンのようなものなのだ、ということだった。「一時停止」や「オフ」のスイッチなど、あるはずもない。あるいはあるとしても、そんなスイッチを押すならただちに破局が引き起こされずにはいない、ということだったのだ。

 実際のところ、スイッチは実在していたわけであって、これはこれで、もちろん興味深い事実だ。けれどわたしたちは、さらに深い問いを投げかけることができる。そもそも「経済」とは、厳密に言って何を意味する言葉なのか。

 

--- コロナ後の世界と「ブルシット・エコノミー」/デヴィッド・グレーバー(片岡大右訳)

 

書籍は記述の分量(文字数)が多くて分厚く、読むのが大変そうであるばかりでなく日本語版はお値段もかなりのものがあるが、英語版の電子書籍なら普通の書籍の値段だし(2000円行かない)、英文もそんなに読みづらくはないから*1、ちょっと手を出してみようかなという人は原著で手を出してみるとよいだろう。あるいは、雑誌などへの寄稿も多かったので、単にウェブ検索してみても読むものはいろいろ見つかるだろうし、グレーバーはアナキズムの流れに位置する人だから、インターネット/ウェブ上のアナキズム関連のネットワークを掘ってみても何かしら読むものは見つかるはずである。というか、現状、英語版ウィキペディアがかなりたっぷりした著作リストになっている。それで興味を惹かれたら、大著の日本語訳を買ってみるとかするとよいのではないかと思う。

というわけで前置きが長くなったが今回の実例は、あまりにも急な訃報に愕然としながら、故人を知る人、その著作に触発された人がそれぞれに挙げていた故人の文章のひとつから*2

記事はこちら。2015年9月(トランプ政権以前、オバマ政権下)に書かれた文章であることに留意されたい。

gawker.com

表題の "Ferguson" は、偶然だが、当ブログで前回まで数回にわたって見ていた "Rest in power" というフレーズについての解説の文章で言及・参照されていた、 マイケル・ブラウンさん射殺事件 (2014年8月) があったミズーリ州ファーガソンのことである。2020年の現在ではもう記憶は薄れているし、その「語り」は少なくなっているので知らない人もいると思うが、事件後しばらくの間は「ファーガソン」が「黒人に対する警察などによる構造的な暴力(構造的人種差別)」の代名詞になっていた。グレーバーのこの文章もその時期に書かれたものである。

ファーガソンアメリカン・ライフの犯罪化」というタイトルのこの論考は、しかし、直接的に人種差別についての文ではなく、私たちが「経済」と呼んでいるそれは本当は何なのか、ということについての文である。

*1:個人的な感覚で恐縮だが、例えばナオミ・クラインよりずっと読みやすい。

*2:via

https://twitter.com/thrasherxy/status/1301545922590117888 

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not only A but also B, やや長い文, to不定詞の形容詞的用法, 同格, など("Rest in power" というフレーズの持つ意味)

今回もまた、前々回前回の続きで、人が亡くなったときの追悼のことば、 "Rest in peace" の代わりに使われる "Rest in power" というフレーズについての解説記事から。(この記事、かなり読むのが難しいという反応をいただいています。解説記事は報道記事より読むのが大変なのがデフォで、さらに掲載媒体が、前々回少し触れたように、がっつり読ませる系の媒体なので、文章も難しいかもしれません。かなり方向性・傾向が違いますが、日本でいうと普段『ニューズウィーク日本版』を読んでいる人が、『現代思想』を読んでいるような感じだとイメージしてから読んでいただけると、多少気分的に楽になるのではないかと思います。)

この記事が解説している内容については、前回の導入部でざっとまとめたので、そちらをご参照いただきたい。

記事はこちら: 

slate.com

今回実例として見るのは、前回見たところの次のパラグラフ。前回見たパラグラフの最初の部分で使われていた構文が繰り返されているが、これは文章術というか一種のレトリックによる《繰り返し》だろう。

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not only A but also Bのちょっと変わった形, 先行詞を含む関係代名詞, in terms of ~, 形式主語の構文("Rest in power" というフレーズはどう広まったのか)

今回の実例は、前回の続きで、 "Rest in peace" の代わりに使われる "Rest in power" というフレーズについての解説記事から。

今から20年ほど前にカリフォルニア州オークランドのストリート・アートの界隈で用いられていたのが確認できているというこのフレーズは、やがてブラック・ミュージックやヒップホップに関連して用いられるようになり、2010年代に前景化したBlack Lives Matter運動(私はこれを「黒人は虫けらではない」「黒人だからってやたらと殺すな」「人を殺した奴が殺人犯になるのなら、黒人を殺した奴も殺人犯だろう」という魂の叫びだと解釈している。トレイヴォン・マーティン殺害事件以降の経緯を見ていた人ならお分かりいただけるのではないかと思う)の中で、警察(や自警団)の、過剰な力の行使 (the use of excessive force) によって*1いとも簡単に殺されてしまった―—というより、撃たれて倒れて、そのまま放置され、誰も近づくなと警察に言われるなどしたために誰も助けに行けず、そのまま失血死、つまり見殺しにされるというケースさえある。倒れて動けない相手を身柄拘束することには何の問題もないはずで、それでも警察が必要な医療を許可しないことは、国際人道法の法の精神に反している——黒人への追悼のことばとしても用いられるようになり、さらには、自分が自分であることを認めようとしない大人によってすりつぶされるようにして追い込まれて自ら命を絶ったトランスジェンダー(「LGBT」の「T」)の女子のことを人々が語り継ごうとするときにも、故人に捧げることばとして用いられた。そういった使用の広がりは、ちょうどその時期に普及し定着したTwitterという場での使用の増加・広がりによって観測できる——というのが、前回見た部分の大まかな内容である。

今回はその先を読んでみよう。記事はこちら: 

slate.com

*1:「過剰な excessive」ということを法律家も学者もなかなか認めようとしないしこの単語を使おうとしないのだが、非武装の窃盗犯を銃撃するのは「過剰」だし、ましてや背中から撃ったとか上半身に何度も銃弾を撃ち込んだとかいうのは、誰がどう見ても「過剰」である。

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it was not long after ~ that..., it was not until ~ that... ("Rest in power" というフレーズはいつ、どこから来たのか)

今回の実例は、前回述べた通り、"Rest in power" というフレーズについて。

誰かが亡くなったときに弔意を示す英語の一般的なフレーズは "Rest in peace" である。意味は「安らかにお眠りください」だが、日本語の「ご冥福をお祈りいたします」と同じような決まり文句だ*1

この "Rest in peace" を省略したのが "RIP" または "R.I.P." ……ではあるかもしれないが、実は "RIP" の元はラテン語の "Requiescat in pace" である。意味は英語の "Rest in peace" と同じ。というか英語がこのラテン語からの翻訳だ。

この "peace" を、頭韻を踏んだ(同じ音で始まる) "power" に置き換えたフレーズが、俳優のチャドウィック・ボーズマンのあまりに突然で早すぎる訃報に際して、Twitterなどで多く見られた。例えばF1のベルギー・グランプリでポールポジションを得た(その後優勝した)ルイス・ハミルトンは、「このポール(ポジション)をチャドウィックに捧げる」として、次のようにツイートしている。

故人を讃えることばを、"Rest in power(,) my friend." と締めくくっている。

他にも、例えば: 

 

 

 

 

この言い方に注目した人は日本語圏でも多かったようだ。見れば "peace" と "power" が「頭韻」であることはわかるし、「"struggle" の中に身を置いた人」のために用いられるという文脈も、何となくでも伝わると思うが、ではそもそもこのフレーズはどこから来たのか。

その点についてウェブ検索すると、解説記事は複数見つかる。今回はその中から、Slate.comのものを読んでみよう。Slateは、気軽に読み飛ばすとか、形式を押さえてざっと読み流すことがしづらい、しっかり読まないと理解できないタイプの文章が多いという印象のメディアだが、今回見る記事も例外ではない。アメリカの文化について、Slateの読者が普段から(無意識裡にでも)共有していることを共有していないと、読むのはけっこうしんどいと思う。下手に手を出すと「こんな文章も読めない私はダメだ」とヘコんでしまうかもしれないが、逆に言えば自分にカツを入れたいという気分の人には長文多読素材として好適である。ちょっと難し目の国公立大2次試験の問題で、内容要約などで使われていてもおかしくない文章だ。

記事はこちら。2019年9月30日付である: 

slate.com

記事の最初の部分(冒頭の2パラグラフ)は、いわゆる「つかみ」の文で、この記事が出たときに(アメリカで)ホットだった話題について「みなさんご存じのあの件ですが」という感じで述べていて、この部分はその話題のことをよく知っていないと、読むのがつらいだろうと思う。ざっくり説明すると、「ロック・ミュージック界で非常に著名な白人ミュージシャンが75歳で自然死したときにも "Rest in power" という表現が用いられたが、その人口に膾炙している目新しい表現は、どういう文脈で、どこから出てきたのだろうか」ということが述べられている。

そのあと、"What is that history?" で始まるパラグラフから後ろが本題の部分だ。

*1:ただし「ご冥福」は使わない宗派もあるし、無宗教の人は避けるフレーズである。英語の "Rest in peace" も使うべきでないとする宗派もある。英語版ウィキペディアには北アイルランドのオレンジ・オーダーの事例が紹介されている。私としては、こんなところでオレンジ・オーダーと遭遇するなんてと苦笑せずにはいられないのだが、読んでみると、なるほど、非常にらしいといえばらしい話である。

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当ブログの投稿の定時を、15:30から18:30に変更します。

いつもご覧いただき、ありがとうございます。

今月(2020年9月)から、当ブログの新規投稿(更新)の定時を、毎日15:30から18:30に変更します。18:30にまたお会いしましょう。

脈絡なく、斑入りのオシロイバナ

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CC BY-NC 2.0 (photo by nofrills)

nofrills拝

正式な告知文, It is ~ that ... の強調構文, 接続詞のas, 分詞構文のbeingの省略, 「(治療)を受けながら」の英語表現, など(チャドウィック・ボーズマン死去)

今回の実例は、Twitterから。

8月29日(土)、映画『ブラックパンサー』で主人公を演じた俳優のチャドウィック・ボーズマンが43歳の若さで亡くなったことが、彼のTwitterアカウントで告知された。身内以外はだれも聞かされていなかったが、この4年間ずっとがんの手術を受け、抗がん剤を投与されながら、数々の映画に出演していた。それだけでなく、その間彼は何度もインタビュー取材を受け、授賞式に出るなどしていたわけで、その強靭さには驚くよりない。これからどんどんすごい姿を見せてくれるはずだった人があまりに早くこの世を去ってしまったことが残念でならない。

 

このステートメントを丁寧に、注意深く読んでみよう。

It is with immeasurable grief that we confirm the passing of Chadwick Boseman.

Chadwick was diagnosed with stage III colon cancer in 2016, and battled with it these last 4 years as it progressed to stage IV.

A true fighter, Chadwich persevered through it all, and brought you many of the films you have come to love so much. From Marshall to Da 5 Bloods, August Wilson's Ma Rainey's Black Bottom and several more, all were filmed during and between countless surgeries and chemotherapy.

It was the honor of his career to bring King T'Challa to life in Black Panther.

He died in his home, with his wife and family by his side.

The family thanks you for your love and prayers, and asks that you continue to respect their privacy during this difficult time.

 https://twitter.com/chadwickboseman/status/1299530165463199747/photo/2

 

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